おしゃべりきものⅡ-または、おしゃべりねこ

サイン入りCD・新しいCD

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2001年のCD「ナビィの恋」サウンドトラック盤はほんとによく聞いた。誠仁さんの唄「下千鳥」(さぎちぢゅやー)のかなしさがしみ入る。

彼が書き下ろしたという歌詞があった。
 ちむる うむくとぅや 山ふどぅにあしが(積もる思いは山ほどにあるが)
 ゆすに語らりみ んにぬうむい(人に語れようか 胸の思いを)
 一人 胸内に うむたびけい(ひとり胸のうちに思うばかり)

こういう詞を唄う時、彼の目にはほんとうに涙が滲んでいた。

恵達にとって初恋の人、妻のナビィには、因習により引き裂かれた初恋の人サンラーがいた。60年経ってサンラーが島に姿を見せた時から、恵達はしずかに覚悟していたらしい。ミーニシ(その年初めての北風)がおさまって晴れた日に、サンラーとナビィは小舟に乗って島を去る。その朝いつものように畑へ出かけるとき、「からだを大事にな」と言って別れた恵達。

行き始めたばかりの沖縄で、封切られたナビィの恋を2度見て2度泣き、帰ってから3度見た。そんなに好きならと、末の娘がサウンドトラックを呉れたし、ビデオテープも買ってまた見た。
だから、沖縄民謡の神様のような誠仁さんを私が初めて知ったのは映画俳優として。
何度も追い返されながら口説き落として映画に出て貰ったという中江監督に感謝する。
新しいCDは、去年買って帰った大城美佐子とのデュエット。
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by buribushi | 2013-03-21 22:49 | ひと | Comments(10)
Commented by sakko at 2013-03-22 00:32 x
ちょっと、逆戻りの肌寒い夜です。
登川誠仁さんは私たちよりお若かったのですか。
歌詞を読みながら引き込まれていきそうに感じました
たくさんの思い出があるのですね。
私のようにあっちこっちと旅行するより
大好きな所に何回も行くのがいいですね
Commented by kazuyoo60 at 2013-03-22 10:56 x
沢山の感動を多くの方に贈られましたね。素晴らしい方ですね。
Commented by buribushi at 2013-03-22 12:57
sakkoさん
昨日はこちらも、風花というよりもう少し多い雪がちらつきました。
誠仁さんは80歳でした。民謡をよく唄われたばかりでなく作詞も好きで、よくノートに向かって書いておられたそうです。
自分の書いた歌詞を、うちの村に伝わる歌詞だ。いや、こっちの村に前からあったのだ。と争うのを聞いたことがあるとのことでした。
1999年4月から、37回も行ってしまった沖縄です。
Commented by buribushi at 2013-03-22 12:58
kazuyoo60 さん
ほんとに多くのひとに可愛がられた方でした。人は可愛げがあるというの、大きな長所ですね。
Commented by t-haruno at 2013-03-22 21:07
20日の夜に夫が「ナビィの恋のおじぃが亡くなった」と申しました。
他の唄者の皆さんと違って、本名で呼ぶより「おじぃ」と呼ぶのがしっくりくる方でした。
「ナビィの恋」や「ホテル・ハイビスカス」のイメージからでしょうね。きっと。
唄で身を立てられた頃は、農業や漁業など第一次産業で働く人が「まとも」で、芝居や唄の世界の人は、おそらく人間のクズのように言われていた時代ではなかったか、と思います。沖縄でさえ。
戦後、音楽が喜ばれる時代になって、若い唄者もたくさん出てきて
嬉しかっただろうなぁ
などと、今、想像しています。
教えを受けた若手に、これからどんどん頑張って欲しいですね。
Commented by buribushi at 2013-03-22 21:45
T-harunoさん
私も、門弟何千人の大唄者、ということを知る前に「ナビィの恋」の印象が強くて、9歳の日の初恋を実らせたのに、その妻は19歳の日の初恋を忘れていないことを知っているおじぃ・・・の方が本当のような気がします。
米軍基地で働いていた頃、戦果を上げ(つまりアメリカの品物をかっぱらい)て10代でお家を建てたとか。バクチで負けて一夜にしてそのお家を失ったとか。
耳で覚えて唄っているけど、本人も意味を知らない、という「ペストウパーキンママ」がCDにあって。
泣き濡れて唄っているような「下千鳥」も、聞き覚えの英語の唄もそれぞれ魅力的です。亡くなっちゃったんですねぇ。
屋良文雄が亡くなった時、泣きながら弔電を打ったけど、おじぃにそうしたくないのは何故だろう。
Commented by 居酒屋猫まみれ at 2013-03-22 21:46 x
私など、戦争も知らず、歌も好きに歌える世にうまれ
のーのーと生きてきた者には到底理解できないであろう世の中。
ましてや激動の地、沖縄です。
センスルー節では各地の方言と、基地でおぼえたと言うタガログ語を
巧みに織り込んで歌っておられましたね。
大変器用な方だったのでしょう。
小柄なおじいが6線を持ってステージに上がると
すごく大きく、神々しく見えました。たった一度、拝見したきりです。
沖縄の民謡も、コトバも、
沖縄の人たちがしっかりと守り伝えていくのが
一番だと思います。
いくら好きであっても、私らヤマトゥンチュがやるそれは
どこまで行っても、所詮エセでしかない...そんな気がします。
せめて、好きで居させてください。そんな気持ちです。
Commented by buribushi at 2013-03-22 21:55
居酒屋猫まみれさん
戦争をかいくぐって来たわけだから、よく80まで生きて呉れたなあ、という気もします。
肝障害で亡くなったそうですが、お酒は嘉手苅のオトーが亡くなってから止めた、とも聞きました。
大師匠なのに、いたずらっ子みたいなお茶目なところもあって、大好きでした。
2002年にお宅へお邪魔したとき、人が入れるほどの大きいビニール袋にタバコの空き箱をいっぱいに入れて軒に吊ってありました。それも二つも。何のおまじない?悪戯?聞けば良かったですね。タバコはバイオレットでした。
Commented by hee3hee3 at 2013-03-23 08:46
こちらで登川誠仁さんがおなくなりになられたことを知りました。「ナビィの恋」のように、歌詞を変えて戦争の悲しさを唄ったり、沖縄の明るさと悲しみを教えてもらいました。ご冥福をお祈りいたします。
Commented by buribushi at 2013-03-23 09:57
hee3hee3 さん
お茶目で、かわいげのあるお人柄でしたね。NHKテレビで彼を特集したことがあって録画したけど、何回見ても飽きません。
借家だという質素なおうちで、庭先にゴーヤーやナーベーラー(へちま)を植えて長い実がぶらぶら、実っていました。何とも言えない懐かしさです。一度でも、実際にお会いできてよかったです。ビセカツ氏のおかげです。

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