おしゃべりきものⅡ-または、おしゃべりねこ

56年目の出会い

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雑誌「暮らしの手帖」の新しい号を見ていたら、読者の投稿にアイコさんの名があった。
何十年も前の42号に、ある日本人のくらし「駅長さんはお人よし」の題で彼女のお父さんが載った、という。
その号はすぐに見つかった。1957年、いまから56年前の発行だ。上越線小出駅から会津へ向かう只見線は、当時はまだ会津側と繋がっていなくて、大白川が終点だった。
アイコさんのお父さんが、駅長を含めて3人の駅員で守っていた「越後広瀬」駅は、私の母の在所で、当時北魚沼郡広瀬村と言った。
薮神村と合併して広神村になり、さらに合併して魚沼市になるのはずっとあとのことだ。

女の子4人男の子1人という組み合わせが私と同じ子ども達と両親が、官舎の灯りの下で丸いテーブルを囲んで笑っている。何ともかんとも、なつかしい。
アイコさんとは、A新聞の県内版歌壇を通して20年近い前からご縁が出来た。

この号が出たころ私は二十歳で、岐阜県にいた。ささやかな収入でこの雑誌を買っていたが、バックナンバーの販売が中止になることを知ってまとめ買いをして、本屋さんに分割払いを承知して貰った。秩に入れて大切にし、結婚のときは持参した。

母の里は広瀬村並柳というので、越後広瀬駅からほど近い。
学校が休みの度によく泊まりがけで遊びに行ったが、ほとんど歩いて行った。上越線の越後堀之内・小出を通り、只見線沿いには薮神駅を経て越後広瀬になる。
越後広瀬駅まで歩くちょっと手前で鎮守様のある方へ曲がれば母の生家があった。小学生の私がリュックを背負い、わらじを履いて一人で歩くので、よく人に声を掛けられた。2歳下の妹を連れて二人で歩いて行ったこともある。「汽車賃」がいくらだったのか、とにかくあの頃はおかねを使わなかった。いったい何キロほどの距離だろう。まだ歩けるかしら。

山ほどのことを思い出させた古い暮らしの手帖は、昨夜久しぶりに出してみたら、秩ごと朽ちて、少し手荒にすればばらばらになりそうだ。保存場所が良くなかった。そうでなくても、あのころの質の良くない用紙に細かい文字の印刷は、読み返しに耐えそうもなくなってしまった。



by buribushi | 2013-02-01 11:47 | よのなか | Comments(8)
Commented by kazuyoo60 at 2013-02-01 12:19 x
母の父も国鉄に勤めていたそうです。母が11歳か12歳で亡くなったそうですので、母の話からしか知りませんが、花好きの遺伝子を貰ったのかなと思っています。
思い出の本ですね。私も数冊は買った記憶はあるのですが。
Commented by buribushi at 2013-02-01 16:48
kazuyoo60 さん
戦後の暮らしは大変だったので、雑誌など取ってもらえませんでした。とおい親戚の家で取っているのを、まぶしい物のように大切に読ませて貰いました。
中学生でしたが、紺絣を使った洋服の作り方、など、感嘆すべきはなしが満ちていましたっけ。
母の父は、肋骨のような飾りのある服を着た軍人でした。
Commented by ミミの父 at 2013-02-01 21:07 x
文章をたどって地図帳を広げてみました。
福島から六十里越トンネルを抜けて、人家が見えてきたら大白川駅があり、手前の道端にはカタクリが咲いていました。終点だったんですね。
越後広瀬駅周辺を見たら、国道から只見線が離れはじめました。記憶は定かでないのですが、桜と八海山を撮りたくて並柳辺りを左折して田んぼ道で場所を探しました。桜は無かったのですが、八海山?と只見線列車を撮りました。たぶん国道と只見線の間、並柳辺りの田んぼ(列車後に送電線あり)だと思います。
下URLは3年前ほどのブログです。
http://nan-kan-tecyou.no-blog.jp/diy/2010/04/1to5.html
Commented by buribushi at 2013-02-02 09:27
ミミの父さま
3年前のブログ、あーこれまさに八海山。
大白川が終点だったころ、遠足で行きました。当時にすれば只見線まるまる乗ったぞ、の大旅行でした(繋がっていないだけで会津側もあったでしょうが)。
福島から来られて左折、ということはアルキの私は右折です。母の生家の前を通りすぎると只見線の踏切がありました。
更に歩いていくと・・・破間川(あぶるまがわ)に出るのだったかな。60年以上前の記憶、もうおぼろです。
母の生家に大きい池があって、真鯉が沢山いました。あれ、食糧だったんですね。
今年はなんとか、並柳へ行って来ます。
母の末弟の叔父が健在のうちに。
Commented by sakko at 2013-02-02 10:26 x
暮らしの手帳・・・・懐かしいです。
あまり雑誌のなかったころ、為になる記事が多かったですね。
同じ思い出の 場所があるのですね。
56年前、わたしは何をしてたのだろう。
s化学の業務部でOLでした。
あの頃の大阪はまだ戦後が残っていました
長く生きたものだな~と・・・・・。
Commented by buribushi at 2013-02-02 13:11
sakkoさん
そう、あまり多くの雑誌は出ていなかったんでしょうね、あのころ。自分で買えるようになってとても嬉しかったです。
布でポケットを作って壁に下げ、小物を入れるなど、
ああこれを真似していたのか、ということが幾つもありました。
56年。二十歳で、少しはきれいで、いっぱいお馬鹿でしたよ。
長かったですね。ここまで。
Commented by ohisama at 2013-02-02 19:20 x
暮らしの手帳は母が創刊号から買っていました。
料理が苦手な私は、暮らしの手帳社の「おそうざい12か月」と「おそうざいふう外国料理」を嫁入り道具として持ってきました。
ずいぶん助けられ、作った献立は娘にも受け継がれました。
エッセイや読者の投稿を読むのも楽しみでした。
Commented by buribushi at 2013-02-02 19:47
ohisamaさん
私も、昭和30年代になってからのバックナンバー買いですけど、創刊号からの分が全部あって・・しかし今回見たら随分朽ちていました。
お料理記事良かったですね。「塩鯖のおからまぶし」とか、大きい丸茄子をぷつぷつとつついてから揚げて出汁をかけるの、豆腐に鶏挽肉の入ったあんをかけたのなど、すっかり定着しております。
「おそうざい12か月」は子どもにも友だちにも贈りましたね。

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