おしゃべりきものⅡ-または、おしゃべりねこ

カテゴリ:本( 90 )




谷崎源氏・他

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名古屋にいる同級生のユーゾーさんから荷物。谷崎潤一郎訳の源氏物語、昭和16年発行のものである。和綴じふうの装丁で、用紙も和紙のようだ。
これこれのものがあったから送る、と電話が来たとき、お礼は述べたが、ちらと(読むかなあ)という気持ちがしたのだった。
でも、いまだに源氏を通して読んだことはない。いい機会だと思って読むことにしよう。

ユーゾーさは(「さん」ではない、「さ」をつけるのがお国ぶり)、私が小学校2年1学期までと、中学3年2学期から卒業までを一緒に過ごしたキセル同級生で、本を誰かにやろうかと思ったとき私を思い出してくれたのはありがたいことだ。

源氏物語の他には、ビッグイシュー、さまざまな名言を書き抜いたもの、などが入っていた。
良寛の「災難に逢ふ時節にはあふがよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とか、
ガンジーの「明日死ぬと思って生きなさい 永遠に生きると思って学びなさい」など。
ガンジーの言葉は初めて見た。有り難かった。

最近知った話。ある三味線の名手がいうに、「演奏は上手だが音が濁っている人がある。下手なのだが音は澄んできれいな人がある」これは修練のほかで、どうしようもないことなのだという。もとの話にはこれにみな固有名詞が入っていて、分かりやすく、じつに興味深かった。
あっ、歌(短歌)にも通うことだと、すぐそう思った。
そして人々の歌を見るに、どちらであるかはじつにくっきりと見えるのだった。
そつなく歌にまとめているが、読む気持ちの「涼しくない」ものと、手を入れなければ歌といいにくいような作品なのに、少し整理してみると何ともいい歌になるものとあるのは前から分かっていた。

このことをもう少し前からちゃんと意識していたらしないで済む失敗もあった。



by buribushi | 2012-01-11 21:29 | 本・短歌など | Comments(6)

出雲崎・希望のしくみ

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冬の海は色彩もなくて、沖から波が寄せては防波堤にうち当たって高くしぶきがあがる。
小魚でもうち寄せられるのだろうか、水際にウミネコがたくさん、風に吹かれていた。
魚屋さんも、道の駅も、人影が見えず、しんとしている。山国の冬は雪が深くてたいへんだけど、海辺の冬も寂しいなあ。
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「希望のしくみ」という本を読んだ。
スリランカ初期仏教界長老、アルボムッレ・スマナサーラと養老孟司の対談。仏教と科学が、お互い実になめらかに意思が通い、理解しあって「真理」を語る。

アルボムッレによれば、日本仏教の各宗派が唱えているお経は、釈迦没後何百年も経ってから坊さんが書いたもので釈迦の言葉ではない。釈迦の語る真理はシンプルで衝撃的。
日本の仏教は自分で解釈して宗派を立てた祖師を信仰しているので、釈迦の言葉は信仰するのでなく実践すべきもの、祖師をのみ信じているのは仏教でなく何々教であるという。
私は信仰に入ろうとしたことが2度あって、1度も果たさなかった。(これは一部真理かもしれないが、これを始めた△△氏の考えが濃く入っていて、それに馴染めない)と思うのだった。
そういう自分をなにか欠陥があるのだろうかと思ったこともあるが、健全だったのだとわかる、それだけでもまず、読んだ価値があると思う。

フランス人と中国人が日本人のことを「彼らは生きていない」と言うだけですっと通ずるものがあったはなし。

ス「彼らに取っての人生はパックツァーみたいなもの。何日に出発して何日に帰る、何処と何処へいくと旗のあとをついて歩いて安全に行って帰って「旅をした」。人生はそうじゃないんだけど」
養「そう。ほんとにパックツァーだと思ってる」
編集者「横道にそれる快感をしらないんですね」
養「それは横道かどうかもわからないんですよ。いまの表現は非常に日本型で、人生に正道があると思ってるんだ」
編「あ、そうか」
ス「道があると思ってる」
養「だったらわが道を真っ直ぐ行きゃいいじゃないか、パックツァーなんかじゃなくね」
というくだりとか。

ちょっとこれ、よく読んで、少しなりと生き方が変われるような気がした。



by buribushi | 2011-11-25 16:46 | 本・短歌など | Comments(12)

ローズヒップ・他

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夫についていったム〇シで、半額コーナーにローズヒップを見つけて買った。
紅い実は何でも好きなので、前に新潟へ行ったとき市場の花屋さんでローズヒップを3本買って、帰るとすぐ下の方を切り取って挿し木し、また実を潰してタネ蒔きをした。
それが活着なり、発芽なりしたところで、実がなるのはずっと先だろう、これはともかくいま実がついているのだから、来年はかならずまた実がつくはず。

ピンクの5弁の平凡な花が咲くらしい。それから紅い実と、紅葉も見られるらしい。オールドローズ系なので丈夫で、管理は簡単、棘も少ないという。
ローズヒップ・センセーショナルファンタジー と、たいそうな名がついていた。

河出の「文藝別冊・佐野洋子追悼総特集」を読み返したら、また彼女の本が読みたくなった。本棚へ行って本の背の題名を読む。「私の猫たち許してほしい」は、最初に出会ったエッセイで、ただ「猫」という文字が入っていたから買ったにすぎない。それからは彼女の名前を見るたびに読まずにいられなくなった。
「もぞもぞしてよゴリラ」は絵本で、読んで号泣また号泣したなどという本は他にない。本の世界と、その時の私の生(せい)のありさまがよく合ったのだろう。
「百万回生きたねこ」を幼い子に読んでやるときも泣いて読むのが途切れたけど。

「乙女ちゃん」
「佐野洋子の単行本」
「私はそうは思わない」
「覚えていない」
「ふつうがえらい」
「友だちは無駄である」
「食べちゃいたい」
「問題があります」
「神も仏もありませぬ」
「役に立たない日々」
「シズコさん」
「死ぬ気まんまん」
「そうはいかない」
書き出していると、なんか否定的な語が多いな。
夫だった谷川俊太郎と、一人息子の広瀬弦の対談も読みかえす。結婚しなければよかった、友だちとしてはあんな面白い人はない。肉親でなければ面白い。と二人して言っている。

これが、「みにくいあひるのこ」を読んでもらって、「なんであひるじゃいけないんだよ。あひるに悪いじゃんか」「あひるはあひるとしてりっぱに生きていけばいい」と言ったげんちゃんか、とつくづく写真を見る。



by buribushi | 2011-11-17 20:43 | 本・短歌など | Comments(2)

ポリゴナム・Nさんの手紙

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上の写真はは8月初めの、下はつい先日の、同じポリゴナム。
昨年友だちから一株もらったものを鉢に植えて置いた辺りに、今年ただ1本生えたポリゴナム(ヒメツルソバ)が、随分大きくなって沢山花が咲いた。
他に友だちから贈られた幾株かのポリゴナムを地面に植えたものも元気になって花の続きがつきはじめたし、来年は大ポリゴナム持ちになること、間違いなし。

先日、今年初めての年賀欠礼の挨拶状が、投稿家の一人Nさんから届いた。お母さんは百六歳で、最後まで施設にも入らず、「老木倒れるがごとき大往生」だったという。
お線香代わりと申しては何だけれども、今年作った投稿作品集をお送りした。Nさんの作品も載っているが、お取り込みで気がつかなかったかも知れない。
またお手紙を頂いた。お母さんは足が悪くなってベッド生活4年3か月、うちが一番いいよう、と言いながらも週2回のディサービスは楽しみにしておられたという。
歌壇はせんせいのかいせつ(作品へのコメント)が面白い、と、その日の新聞を枕元に何日も置き、片付けようとすると「まだ見るがだい(まだ見るんだよ)」と言われたという。
投稿せず手紙も下さらない人のなかにも、こういう読者があるのだということは有り難く、心が温かくほとびる思いがした。



by buribushi | 2011-11-14 21:15 | 本・短歌など | Comments(6)

ほん

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去年の今ごろ蒔いてよく発芽し、うれしかったソラマメが、冬越しに失敗して全滅した。野菜つくりの本を立ち読みしたら、そのソラマメも、落花生も、簡単だと言われるのにあまりよく出来ないカボチャも、図解でよく書いてあったので買う。

石牟礼道子の本なら何でも良かった、あんなガラスのように澄み透った人の書くものなら何でも読むのだ。珍しくも食べ物の本で、「消費税をもう2%頂きます」と言われる1994年発行。大きな書店だからか、よくまあ返本でごみにもされず、生き残ってくれた。
調理された食べ物の写真も載っているし、レシピというはっきりしたものはなくとも、真似して作れそうなものもある。
あいだ、あいだにあの情の濃い熊本弁で、おばあさんの述懐などがある。ひたひたと気持ちのうるおう本。

もう一冊はまたもや整理本。読むだけじゃだめだって?だってー。


日が暮れてから、新聞店のご主人が集金に来た。新聞代じゃなくて、読解力試験の受験料を、ということだった。おや、あなたの方に手が回りましたか、と、払う。テキストが要るかと聞かれ、まあいいわと断ったのだが、夫がやるからには万全を期せば、というので、電話であらためて注文した。受験料5千円テキスト千なにがし、結構かかる。
「緑花試験」というのが年に一回あって楽しみだったが、終了した。これにしても読解力にしても、受験勉強が要らない、というかして見ようがないのが気に入っている、好きな分野だし。まあドウラクの部類です。



by buribushi | 2011-10-25 16:46 | 本・短歌など | Comments(2)

雨後のとうもろこし

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天気予報が「大雨洪水警報・雷注意報」などというほどのことはなかったが、結構いい雨が降り、畑にはなんの心配も無くなった。やれやれ。

ハシモトさんが、家で通称藷の親方と呼ぶサツマイモ好きの大工さんと来て、薪用に貰ってある木のいいところを材木として使うために軽トラに積んだり、片づけで出た電機類を積んだりしていく。

遅朝飯を食べて来たのでゴハンは要らないが、藷が食いたい、ということで、保存した藷の最後を蒸かして出した。残りを貰っていいか、と、紙袋に入れて行った。
なんのたくみもない、藷が食いたいから藷が食いたい、と言うので、あの人たちに遠慮なくされても少しも嫌な気持ちがしない。

「越後古代史の研究」は、図が面白いだけでなく中味も面白い。
石器時代の人は海岸沿いに住んだので、遺物の発掘されたところを繋いでいくと当時の海岸線になる話。

明治26年ごろ出た地方誌に古志郡名木野村の口碑が載っているが、尾首ともに八つある大蛇の伝説は古事記・日本書紀のものとほとんどおなじである。
娘を差し出した名木野村の長者の名は「稲田」で、代々稲田を名乗り現存する、とあるが、記に「櫛名田(くしなだ)姫」とある名は、紀では「奇稲田姫」。同じ事件を述べているとしか思えない話、とか。

著者が越後の人に違いない証拠には、堂々たる文章のなかに「い」と「え」の混同があるのもほほえましい。
さすがの活字中毒者にもさらさらと読み流しは出来なくて、眠さに本を取り落とすまで読んでもあまり進まない。

写真は雨後の庭畑。Mちゃんに貰ったもちとうもろこしは、2メートルになんなんとしてようやく赤っ毛のちぢれっ毛を表し始めたところ。オクラも元気、サトイモ息を吹き返す。

今夜、今年はじめての馬追の声を聞いた。



by buribushi | 2011-07-28 20:32 | 本・短歌など | Comments(8)

高嶺の百合

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昨夜から今朝に掛けて、雷と雨。待ちこがれていた雨で、寝ながら笑えてくるほど嬉しかった。
朝、真っ先に畑へ行って見たら、雨は思ったより少なかったらしく、あまり深く浸みてはいなかったが、少なくとも撒いた水を弾くような乾きすぎは治った。
明日の予報は一日中雨、というので、それでやっと畑が潤うと、頼みにして待っている。

午後、出雲崎、寺泊へ。
出雲崎ではKボロ屋さん(正式の店名)へ、シーツやタオルなどウェス用に貰ってもらう。いつもありがとうと地物のモズクを下さった。早速夕飯に頂いたが、ぬめりがあり、香りが高く、美味しいモズクだった。

寺泊ではPアンティークに、昨日の帯を含め帯、きものなどを一包み持って行く。お代無し。また古書数冊を貰ってくる。
和綴じの算術の本、明治14年発行のもの。同じく明治16年発行の十八史略字引大全。大正3年発行の手紙文。

ただ一冊和綴じではない、大正14年発行「越後古代史之研究」は、この前行った古書店が歴史ものが好きだと言ったから選んだのだが、見ると口絵の「地質(沖積層)図」「石器時代の海岸線」「後冷泉天皇康平三年子年五月」の地図などが大変面白い。
正確度はともあれ、わが町が大昔は海に面していたというのはやっぱり本当なのだろう。
地質図では、佐渡が二つの島だったのを、沖積層が埋めて繋いだ所などが載っている。この本は手元に置く。

本を動かして利益を得ることをセドリというらしい。職業にしている人もあるという。そんなつもりはないけど、品物の代のかわりに品物をくれるので、それを本にしたわけ。面白くないこともない。

移動中、山百合の群落をみる。とうてい行けない崖の地形。何枚か写真を撮ったが、遠すぎたので、割合近くて百合とわかる写真を載せた。人の行きにくい場所なので殖えたのだ、有り難い。

夜に入り、ぼつぼつと雨。だんだん強まるらしい。



by buribushi | 2011-07-27 20:54 | 本・短歌など | Comments(8)

石牟礼道子「椿の海の記」

「椿の海の記」は石牟礼道子の自伝的形式の長編のうち、2歳から5歳くらいまでが書かれている。

目が見えず気がふれている祖母「おもかさま」は、もう色も変わり果ててしまった白無垢のきものを一枚、しじゅう畳んだり、ひろげたり、まさぐっている。
気分がおだやかな時は、味噌を仕込む麹の具合を見てもらうと、ほつほつ噛んでみて仕込み時期を教えたりするが、妾と暮らしている連れ合いが戻って来ると荒れ狂い裸足で外をさまよう。
乱れきった白髪を誰にもさわらせないが、孫のみっちんが踏み台をかけて髪を梳き、元結いをかけて結ってやるとおとなしくしている。

いつもきりきり働いている髪結いさんは、ある日小さい荷物だけ持って車に乗り、駅へ行ったところで父親に取り押さえられる。

女郎に売られた少女は、恋仲になった少年に刺されて十六歳の生を終える。

かなしみのいっぱい詰まったそういう生が沢山出て来るが、ゆったりした方言は詩のようで、何回読んでも読むたびに新しい。

みちこが父親と海岸へ行った時の会話。古びて海岸にうち捨てられたかつての持ち船を見る。

「なして、いつもひとり?こん船は」
「なしてち、あんまり働いたけん、憩うとるわけじゃ。つとめのもう終わったけん」
「爺さまにならいたと?」
「うんにゃ、あんまり爺さまでもなかろうばってん・・・。この船はもう、うちでも五艘目じゃるけん。船の歳からすれば、えらい早うにくたぶれたもんじゃが。石積船じゃるけん、早う傷みの来た」

「ひとりで徒然(とぜ)なかかなあ、こん船」
「徒然なかかもしれんばってん、びなは這うてくるし、蟹(がね)は這うてくるし、星さまは毎晩流れ申さるし」

「潮の来れば、さぶーん、さぶーんちゅうて、波と遊んでおればよかばってん、にんげんの辛苦ちゅうもんは・・・こういう船のごつ、いさぎようはなか」

文庫本になってから、昭和55年に買って、何回読んだことだろう、こういう会話は暗記するほどだ。

「山に成るものは、山のあのひとたちのもんじゃけん、もらいにいたても、欲欲とこさぎ取ってしもうてはならん。カラス女(じょ)の、兎女の、狐女のちゅうひとたちのもんじゃるけん、ひかえて、もろうて来」

なんという丁寧な、優しい言葉だろう。そう言えばあの地のわらべうたに、「・・の・・どんの連れん来らるばい」と、人さらいまでもが殿をつけ、敬語で唄われていた。言葉はこころだから、そういう言葉を持つ土地が恋しい。

追記

島原の子守唄

おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
梨の木 育ちよ
何の なしやら 何の なしやら
色気なしばよ しょうかいな
はよ寝ろ 泣かんで おろろんばい
鬼(おん)の池ん久助どんの 連れんこらるばい

(鬼の池の久助とは若い女性を金で売り買いする女衒であったという)



by buribushi | 2011-07-07 20:31 | 本・短歌など | Comments(11)

おんもへ出たい

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いかにも梅雨時らしい湿っぽい空気で、コンクリートがじっとり濡れている。草がスゴイが草取りもできない。
胡瓜が大きくなって、あす穫れそうなのが一本あった。下のほうについたので、土に触れて曲がっている。

ほとんど一日、中学生の歌を見て過ごす。「短歌とは」ということで私が1時間話した内容をまとめる欄が、へんだと思ったらまったく同じ短い文を書いている者が大勢いた。あるクラスはほとんど全員、あるクラスは半数くらい。あり得ないこと。

08年からの資料をみると、ただ「5・7・5・7・7」と書いている子がいたり、何にも書かない子、びっしり書いてはみだしている子もいた。それでいいので、同じ道を歩いてもおなじものは見ていないように、同じ話を聞いても耳にとまる部分は違って当たり前。

おおよその事情は察しがつき、それがいいことと思ってしたのだろうが、歌とはおよそ反対の極にあることと言わなければならない。
今年はもう添削はしたくないとまで思った。いったんは電話でそう伝えたが、思い直して、やはり準備を、とFAXを入れて置く。あすの一時間目、二時間目。

ハシモトさんがくれたナツハゼを植えなければならない。場所を決めて無かったが、東南の角、エゴノキやヤマボウシ、自生の山葡萄などがあるこの一郭にしようと思った。
夕方、雨が止んでいるときスコップで掘る。アンニンゴの根か何か、突き当たるので、剪定鋏を持ち出して切っては掘る。26年間で表面は黒土になっているが、下はまだ無機質な感じの赤っぽい山砂が出て来た。

やっと掘って、植えようと思えば、一塊りになったナツハゼの株に南天が1本、楢の木が1本、食い込むようになっていて、引っ張って取れるようなもんじゃない。南天は剪定ばさみで、楢は折り畳みの鋸で取り除く。南天が直径1センチ、楢は3センチ位もあった。何回か上を切ったらしくごつごつした木。

黒々した山土ごと植え穴に落とすとすぽっと入って、まわりに掘り出した土を少しかけた。土の性質が随分違うが、ナツハゼは丈夫な木だから頑張ってもらう。
これも根元の太さから見て1年や2年の苗ではないから、上を切られてはいるがヒコバエが出て来ると思う。と、希望的に。
去年大収穫のあと虫が入って枯れた山葡萄はヒコバエにまた少し花がついているし、アケビはぶらぶらしているし、大体ここは雑木林ということになっているのだ。

写真はおんもに出たいピース。もう夜だからおんもないない、と鍵をかけられたあと。彼女は今日ネズミを一つ取った。



by buribushi | 2011-06-28 23:29 | 本・短歌など | Comments(6)

中学校

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地元の中学校で、朝8時50分からの1限と、続く2限で短歌教室。
この形式は1300年も変わっていない、しかも誰でもが参加しているのは世界に例のないことらしい。とか、定型であるために、むしろ多くのものを含み得る、字面に現れていないものが読むほうにちゃんと伝わる。とか、同じ道を一緒に歩いたとしても、見たものはそれぞれで、つまり見た、ということは選んで見ているのだ。見たままを詠おうとはつまりそういうこと。とか。

作品鑑賞は普通の作品半分、中学生の作品半分。
沖縄話に脱線するように、ちゃんと犬釘をゆるめておいた、つまり沖縄の出てくる作品を1首混ぜて置いた。
最後の2,3分に、サイバラリエコの「この世で一番大事な金のはなし」のことを話す。これは自立して生きるとはどういうことか、という本だから、ぜひ読むように。
去年も同じ事を言ったので、もうちゃんとその本が入っていた。ただし全員読んでいるわけでもなかった。
次は29日、やはり1,2限。
30度を超えたそうで、汗の流れる暑い日になった。

夕方畑。また草が生えて来た落花生の間を、三角鍬で削る。落花生はもう花が咲きはじめた。
追い蒔きしたオクラがぽつぽつ生えて来た。
ダリアの隣に蒔いたコリアンダーがなかなか芽生えなかったが、今日小さい芽が見えるので1本摘んでみたらまぎれもない、カメムシに似たにおい。完熟した実は、葉っぱとは違い甘い芳香があるそうだから、それを楽しみに育てよう。

クチナシの蕾の首が伸びて来て、そろそろ咲く、と思っていたら今朝2輪咲いた。一重のほう。小さくてもちゃんと匂う。
西表島へ行ったとき、道脇の林の中に小型の一重の花をつけたクチナシの木、かなり大きいのがあって、ほしいなあ!と眺めたが、それと同じか、やや大きいくらいの花。今年は蕾がどっさりついた。

トケイソウの古い株に6輪花が咲いた。一度に6輪は今年初めて。



by buribushi | 2011-06-20 21:43 | 本・短歌など | Comments(4)

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