おしゃべりきものⅡ-または、おしゃべりねこ

カテゴリ:本( 96 )




しぐれ味噌資料

a0203003_9442282.jpg
a0203003_9443813.jpg

6月26日、津南で若杉友子さん(ばあちゃんと自称しておられる。わたしと同い年)の講習会で習った中の一つ、「しぐれ味噌」はうちに定着、欠かさず作って置く。

春と違い摘み草はそんなにし易くないけど、草刈り、草取りの後すぐまた生えて来る、芽を摘んで置けばすぐまた脇芽が出る、ものが相手だから、材料に困ることはない。

共同で市の図書館からまとめて借りておく本から2冊借り出して來た。
食べられる草には詳しいほう、のはずで、あまり目新しい話もなかったが、吾亦紅の芽もたべられること。ヤブガラシは藪枯らしではなく藪辛しで、食べられなくはないが辛いこと。の、二つを覚えた。

今朝摘んだ材料。
たんぽぽ。おおばこ。すべりひゆ。吾亦紅。蓬。アカザ。アレチノギク。ヨメナ。露草。イノコズチ。三つ葉。蕗。スギナ。小豆の芽。
全部で一つかみほどだからたいしたことはない。炒めて味噌を入れればかさは減って、味の変わらないうちに食べてしまえる。

しぐれ味噌ほどではないが、その時習っていまも時々作るものは「胡瓜の炒め物」。胡瓜を鉛筆を削るように削ぎ切りして、太白ごま油で炒め、塩で調味するだけだが、生姜のみじん切りを先に炒めておくのが習ったやり方で、ニンニク、胡椒、など応用している。油は多くしない。作って冷やして置くこともあるが、作ったら食べきるよう、多くは作らない。



by buribushi | 2015-08-30 10:02 | | Comments(4)

ミニマリストという生き方

a0203003_1094432.jpg

このところ、手応えを感ずる「片付け本」に出会ったと思っては読みまくる。
まだ、「どだ!」とウチ中を公開、などという段階にはほど遠いけれども、いままで片付け方を知らないまま来てしまったのだなあ、と気がつく程度にはシンポした。と、思う。思いたい。

「あした死んでもいい片付け」という本には、(ちょっとー、ずるくない?)と思った。今までのこの著者の本には、具体的な片付け方、一日30分と決めて要らない物を抜き、タイマーが鳴ったらぴたりと止める。今日は玄関、次は居間、というふうに回っていく。というやり方が新鮮で、助かったと思う。
「あした死んでも・・・」は、本が出る前に大々的に予告して、予約を取っていた。娘②(片付け屋商売)は発売日に本屋をハシゴして探したという。

私と娘の共通した感想は、いままでの本だけで良かったね。
これはこれでいいところもあるのだろうが、ショッキングな題名を付け、早々と予約を取り始めて、中身はタジラシケーシ(沖縄語で、温め返し)が目立った。あら・・。この商売上手。と。出版社に乗せられたのか。

懲りもせず、「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」という本を読んだ。
ミニマリストという言葉を初めて知った。モノを最小限に減らす生き方。
ミニマリストのモデルハウスの写真。
これ一つで世界一周出来るミニマル・バックパックの写真には、Mac一台。ポータブル浄水器。シュマグというアラビアのスカーフは、これ一枚でストール、マスク、帽子、タオル、緊急時には濾過器にもなるという。充電器、電源ケーブル。寝袋。ポケットソープなど、全部で24点、解説付きで載っている。

すぐ思い出したのは、池澤夏樹の芥川賞作品「スティール・ ライフ」だった。大金を横領した男(金を使う目的ではない)が、名前その他一切の自分の情報を隠し、名前を貸してくれた男に指令を出して株取引をさせながら生きている。すぐ住むところを移せるよう、鞄一つと段ボール箱しか持っていないのだ。
その、鞄一つと段ボール箱ふたつ(だったかな。記憶あいまい)で生きられる、衣類はシーズンごとに着捨て、本は文庫本を読み捨て、と言うようなところに強い印象を受けて、あこがれのような気持ちがした。この主人公はミニマリストの生き方そのもの(お金がありすぎるところを除けば)。
彼のように潤沢なお金があるわけではないから、着捨て読み捨て使い捨てという訳にはいかないけれども、「ぼくたちに、もう・・・」、これはかたづけ本としても高度な参考書ではないか。

片付けの実践はいずれまとめて報告するつもりだけれども、その中の大物、「耕耘機」。私でも使える小型を残し、大きい方を友人に貰ってもらった。動かす力が足らなくなったから。
藍印花布のシャツブラウス、ワンピース、各一点。シャツは新品、ワンピースは着用、どちらも古物店へ。印花布の強さが着こなせなくなっているのに気付いたから。本、大きい手提げ袋に一杯、貰ってもらう。もらい物の靴下5足、Tシャツ、貰ってもらう。



by buribushi | 2015-06-16 06:16 | | Comments(2)

森茉莉「ドッキリチャンネル」全巻

a0203003_1012532.jpg

週刊誌に長く連載されて好評だったという「ドッキリチャンネル」は、森茉莉の文筆生活のほとんど最後のあたりで、「わたしももう年なのでこういう軽いもので終わりたい」と言っている。
中野翠編「ベスト・オブ・ドッキリチャンネル」しか読んでいなくて、まとめて読みたかった。全集に入っている、と言われても、古本で1万円する。
幸い市の中央図書館で借りる事が出来た。1冊700ページを越える大冊が2冊。
つねに業物(わざもの)を身に帯びて、寄らば斬るぞ、寄らなくてもこちらから斬りかかって、ずん、ばらりんと斬り捨てる。読者は喜んだだろうし、有名人はセンセンキョウキョウだったという。

人物批評の間、間に作者の子ども時代や、父鴎外との思い出、「一本気」がかたちになって縮緬の羽織を着たような母が、姑や「世間」に理解されにくかった無念、自身の短い結婚生活、配偶者や、やはり世間に、抱く無念。
配偶者の父や、同居しているその妾(しょう)の魅力ある人物もちゃんと描かれている。
独り者になって、文筆で生活できるようになって行くまでの、貧乏だけど不便なだけで辛いとも惨めとも思っていなかった日々。
室生犀星に理解され、幼い子どもを見るような目で包まれていたこと。そのほか彼女を理解した文学者のこと。

こういうことを毎週書き続ける事が出来て、大作の小説を書いたのとは別な、大きなカタルシスがあっただろうなあ、茉莉さん良かったねと思う。

親は十七歳の彼女を見合いで早々と結婚させた。ご飯が炊けないどころか自分で薬缶に水を入れて沸かしたこともない茉莉は、女中の沢山いるような金持の家に嫁がせるのがいいだろうという判断だったという。
10歳年上の夫が、猜疑心が強くつめたい人物だったことが徐々に分かって来るエピソード。さらには、性生活が貧しいものだったらしいことも、決して品を落とさない書き方ながら、注意深く読めばわかるようになっていたりする。
喧嘩ばかりしている夫婦、というものはまだ愛がある。ほんとうに凍り付くような冷たい夫婦は喧嘩どころか会話も無い。とあって、あらぬ疑いをかけつづけられた彼女が夫への手紙を長男に託して一人で去ったのは致し方の無いことだった。

どこにあったっけ、と、大冊のページを掻き分けてもう一度読んだ記事。「今や不敬罪はないのでいい気になって言わせていただく」として、皇位を継がれる方は賢いだけではだめで人間の偉きさ(おおきさ)がなくてはならない。私のお推し申し上げる次の天皇は・・・と、名を挙げている。
今の天皇は駘蕩として、偉きい。私はもう余命が少ない。私が生きている間は今の天皇にご存命願いたい。とも書いている。
何時書かれたのだろうと見ると、1980年代。30年も前にこんな事を言っている。いま、人々が(私が、といわないのはずるいけど)口に出さないだけで思っていることを、彼女はその頃すでに見通していた。すごいおばあさん。ほんとの文学者。



by buribushi | 2015-06-01 13:35 | | Comments(6)

森茉莉「私の中のアリスの世界」

a0203003_1554729.jpg

森茉莉の本は文庫本を何冊か持っているきりだ。「森茉莉全集」を買おうと思うと、1冊ずつ*マゾンに出ていて、「ドッキリチャンネル」なんか1万円近くする。私の持っているのはちくま文庫の「ベストオブドッキリチャンネル」だけだが、買うのは止めて図書館ででも探そう。

今回古本で買った「私の中のアリスの世界」は、今まで読んだことのないエッセイが多くてたいへん面白い。

「道徳の栄え・日本人は型通りの「道徳」ですべてを行いまたそのように見せようとしていて、心の深いところにある、人間である以上は当然持っていなければならない(あるもの)を持っていない。たまに持っている人は必死に隠して、それがあることを誇りにしていない。」
 「だいたい人間の顔を見て私たちがその人について感じるものは、表面のものではなくって、中にあるものなので、その中のものが無ければ顔なんか見る必要がない。顔に紙を貼って、名前が書いてあればいいのである(目だけは穴を開けておく)。」
とか、
どこへ行っても「部屋も、飾ってあるものも、花も、・・・・・どこの家も同じだ。時事問題について言う感想も、同じだ。だから日本では訪問する必要もないし、話を交えることも全然無駄である」
と、痛快である。(目だけは穴を開けておく)。夜中に一人で笑った。


a0203003_15543473.jpg

茉莉おばあさんの好きそうなものはうちに無いので、わたくしおばあさんの好きなものをふたつ載せておく。
ワイルドストロベリー。


a0203003_1555296.jpg

ナガミノヒナゲシ。
ケシの花が好きだがいま植えてない。ナガミノヒナゲシは色も、様子も、ケシのミニチュアという感じだ。人は雑草として嫌うらしいが、私は最初蒔いて育て、いまはこぼれ種子で咲くのを抜かないで眺めている。



by buribushi | 2015-05-18 16:30 | | Comments(20)

オキナワ マイ ラブ

a0203003_16285684.jpg
1987年に首里のひるぎ社から初版が出ている、黒川修司「オキナワ マイ ラブ」。
黒川は1970年、17歳で沖縄に移り住み、1986年に引き上げるまで、シンガーソングライター、レコード店、ライブハウスなどをしていた。
何の予断も持たず異文化の中に飛び込んでもみくちゃになったはなしの数々は、うちなーんちゅが書いたのとはまた別の意味で私の沖縄理解に役立った。

「琉球フェスティバル」という催しのためのヤマト旅に、かっこよく言えばロードマネージャー、正確に言えばニムチムチャー(荷物持ち)として?同行した。
沖縄で知らぬ者もない高名な芸能人たちの無邪気さ。食事をして、珍しいお箸だと言うので、よろしければどうぞ。と言われるとわれもわれもともらってしまう。マネジャーには高額の請求書。
総打ち上げの日、主催者代表が、箱根の我が家は温泉が出る。よろしかったらどーぞ、と言っちゃった。半月がかりの旅の終わり、みんな帰りたいばかりだろうとお世辞に誘ったら、半分以上の人が誘いに乗っちゃった。
午前一時、主催者氏から黒川に電話あり。「おまえ、自分の役割というものを知ってるのか!これから行くから首根っこ洗って待ってろ!」空が白むまで待ったが来なかった。云々。

沖縄のある民謡酒場で、私が昔いたところの隣町の住人、という岐阜の人と知り合いになった。通称をヒゲパという。
あるときヒゲパ言うに、酒場のあるじとすっかり話が弾み、店を閉めたら家へ行ってこの続きをやろう、と言われた。まさか知り合いになったばかりの人の家へ押しかけるのもなあ、と思って断った、という。「惜しいことをしたね!沖縄の人が家へ行こうと言ったら、ついて行けばいいの。お世辞でなんかもの言いませんよ。私もだんだんわかったんですけどさ」

黒川修司の受難のはなし。勧められれば何の疑いも無く乗ってしまううちなーんちゅ、彼らは自分も人に勧めるときは本気で言っている。私が苦労している自分の性格は、うちなーんちゅと同じだった。だからこんなにうちなーが恋しいんだ。読みながら涙が出たっけ。

この前の沖縄行きで、歌手の大城美佐子に出会ったのもこの店。お店の人たちは私を見ると、ヒゲパの友だちが来た。ヒゲパ元気か、と口々に言う。あれはヒゲパにこと寄せて、私を覚えていると言っているのだ。

私が新潟から来たと知り、「かわいそうに、だからこんなに積もっちゃったんだ」と白髪頭を撫でてくれた地元のお客。
三線に合わせてしずしずと踊りながら、弾き手が先か、踊り手が先か、テンポが少しずつ、やがて大きくさあっと変わってカチャーシーに突入。みな巻き込まれて夢中になって乱舞。そういうあそび上手、遊ばせ上手の地元の人のいる小さい酒場でこそ。観光客相手の店ではこうはいかない。



by buribushi | 2015-04-08 18:29 | | Comments(4)

木皿泉「晩パン屋」

「文藝別冊 総特集 木皿泉-物語る夫婦の脚本と小説」
脚本に(これまで)、小説に(これから)とルビが振ってある。木皿泉はご夫婦二人で一つのペンネームで、これまでに「すいか」「昨日のカレー、明日のパン」など名高い脚本を書いてこられたが、テレビドラマをあまり見ないのでどれ一つとして見ていない(これからは見る)。
ロングインタビューやお宅訪問など、興味深い記事がいっぱいだ。
その中に、未発表小説だという「晩パン屋」があった。

夜しか開いていないパン屋は、名前はあるが「晩パン屋」と呼ばれていた。店主のツバサにはコトブキという弟がいる。当のコトブキは弟だと信じているが、三歳の時拾われたのだ。飛行機が墜落して、とっさにコトブキを抱きかかえたツバサと二人だけ生き残った。
転がりながら追ってくるコトブキを置き去りにできなくて、ジャケットに包み紐で体にくくる。吸血鬼は鳥のようには飛べないが、大きなバッタくらいには跳べる。

吸血鬼は同じ場所に百年以上いてはいけないので、新しい土地ではまず桜を植える。桜の木の寿命は百年くらいなので、植えた桜が枯れる頃には移動する。ここ数年、あまり花がつかなくなった。
コトブキは中学生になり、高校生になる。バンドをやっているようだ。
桜の木が枯れるまでに、コトブキが一人で暮らしていけるようになるだろうか。
ツバサは朝日の光に一瞬当たっただけでもヤケドの一歩手前くらいダメージがある。パンだって焼いたことは無かったが、小さいコトブキと一緒にいるためには何でも出来ると思った。
コトブキを拾ったツバサと、同じく吸血鬼で人間の女性を好きになって一緒に暮らし、彼女を亡くした竹月とは、去る日が近いことを話し合う。
コトブキに会うまでは、好きな場所に好きなだけいた。地球の果てのようなところでクジラの群れを飽きるまで見たり、美しく忘れがたい風景を見て気ままな日々だった。

バンドをやっているコトブキは、彼の歌を「見つけた」人があって東京へ行こうとしている。ツバサが彼を失うのを悲しむだろうと思っている。

コトブキが店の閉まる早朝に出て行こうとして、ふと気づく。いつも閉店と同時に表に掛けておく「明日、あります」の札が無い。
引き返してみると、店はきれいに片付いて、何もなくなっている。引き出しにも、寝室にも、何ひとつない。「明日、あります」の木の札だけが流しの隅に残っていた。コトブキは、それを鞄に詰めて家を出て行く。

あらすじはだいたいそんなふうだけど。
ツバサが作るパンが「こし餡と苺ジャムとカスタードを入れた三色パンや、カステラに目のさめるような緑の羊羹を挟んだ三角形のシベリア、ビー玉ほどの餡ドーナツを一握りほど袋に入れたコロコロ」などというところ、人間はパンなる物を食う。パンとはこんなものだ。とツバサが考えそうな気がする。
また、自分はものを食べないツバサが、コトブキのために、朝、食事を作る。「水につけておいた米を炊く。同じく水につけておいた切り干し大根でみそ汁、それから玉子を焼いて、あつあつのメンチカツはウスターソースにびたびたに浸しておく。」とか。
大きくなってきたコトブキがアルバイトで引っ越し屋をして、普通の家にはいろいろな物があるのに驚くところとか。そういう細部がかなしくて心に残る。

晩パン屋・・・バンパイヤ、とゆっくり気がついたりして。

「二度寝で番茶」「木皿食堂」「すいか(シナリオ)」「道草(ラジオドラマ・シリーズ)」4冊 「昨日のカレー、明日のパン(シナリオ)」
どれも好きだが繰り返し読みたいのは「二度寝・・」「木皿・・・」か。

わたしみたいなものがこの世にいていいんでしょうか?
いてもよしっ!
は、「すいか」に出て来る会話。

「いてもよし」は木皿ワールドのテーマの一つと思う。













(パソコンが古くなって不調になり、ネットで次のパソコンを買った。何をするにもいちいち様子が違い、未だに写真の取り込み、取り出しがうまく行ったり行かなかったりしている。)



by buribushi | 2015-01-29 11:29 | | Comments(1)

木皿泉「二度寝で番茶」を読んだ

a0203003_21295771.jpg

脚本家・木皿泉は和泉努と妻鹿年季子夫妻のペンネームで、彼らの対話集(という名のエッセイ?)が「二度寝で番茶」。
大好きな高山なおみが、彼らの書いたテレビドラマ「昨夜のカレー・明日のパン」で料理監修をしたという。そのドラマは見なかったが、高山なおみのブログ「ふくう食堂-日々ごはん」がテレビの仕事で忙しくて長く更新されなかったりして、だんだん関心を持った。

はじめて読んだ木皿泉作品「二度寝・・・」はめっぽう面白かった。
脳血管の病気をして介護の要る身らしい「大福ちゃん」(和泉)と、「かっぱさん」(妻鹿)の対話。
大福ちゃんが、介護を受けていることを一生かかっても返せない、世話になりっぱなしはつらい、という。
かっぱさんは、お金に換算するから辛いんで、立場が違えば大福ちゃんだって同じ事をするでしょう?来世でその恩を返してくれればいい。
大・あ、来世ね。-え?来世もボクたち一緒なの?
か・もし、カマキリの夫婦にうまれ変わったら、私うっかり大福ちゃんを食い殺してしまうとおもうんだよね。だから、それでチャラということで。

とか、
か・しょっちゅう会ってて、しかも一緒に仕事してると、損だとか得だとかいうことを日々心にためこんでいく。しんどい。
これは趣味だと思おう。趣味なら時間がかかったり、ムダでも許せる、楽しい。私の長年の智慧というか、発明。大福ちゃんが私の趣味というのは(要約)。
とか。

かっぱさんは更年期に、涙が出て出て1日10時間くらい泣いていた。薬を飲んだら15分で効いた、という話も出て来る。
-昔、わたしも、あまり効いたので、私の心のことを薬ごときに自由にされてたまるものか、と、二日目に捨ててしまったことがある。

かっぱさんが仕事で上京、大福ちゃんは三日間ショートステイに行かされる。彼が見ていると、みんなでするリハビリにゼッタイ入らない年寄りがいたりして、それ、もしかして私かもしれない。

なおみ・スイセイ、カト・アム(エゾアムプリンの)に続いて、またまたこんな垂涎もののカップルを見つけてしまった。わたしにはみんな、なおみ繋がりよ。
小説なんか、読んでいられない。人間は、限りなく面白い。



by buribushi | 2015-01-17 22:00 | | Comments(2)

女と柿の木-宮本常一の本から

a0203003_18104199.jpg
a0203003_18105225.jpg

「忘れられた日本人」「塩の道」「ふるさとの生活」など、宮本常一の本は好きで読んでいたが、「宮本常一とあるいた昭和の日本」25卷。「宮本常一講演選集」8卷。など、ゆたかな宮本常一持ちになったのは、言葉は悪いけど、押し売られた、そのたまもの。

いい本をつくっている会社なのだが、売り方をやや強引に感ずる。いや、そのおかげで、自分で本屋へ行って買ってくるとは思えない本を揃えて読めることになり、結果としてはありがたいのだが。

どういう売り方か、って、営業の人が、真夏であろうが寒い風の吹き荒れるころであろうが、東京からバイクでやって来る。
それも、一番小さい、この辺りで通称とっちゃんバイク、トツバイなんて呼ばれる50ccのバイクで。
そしてじんわりと粘られると、うーん、仕方ないか。それで、支払って貰った、多くもない原稿料のいくばくかは本代として、月々また還流されることになる。

いま読んでいる、講演選集5巻には、1978年(昭和53年)に宮本常一が山古志村、いまの長岡市山古志に来て、四日間で七箇所の会場をまわるというハードスケジュールで語った「活気ある村を作るために」が載っていて興味深い。
山古志はその後、中越地震で大きな被害があったし、宮本常一は亡く、この話のなかのどれだけが実現したのだったろうか。
その部分はまた。

むかし、ある地方で、嫁入りに柿の木を持参して、嫁ぎ先に植える習慣があったという。
それでその田舎には家毎に柿の木があった。柿は、青い実からは渋を採り、熟して来れば柿酢を作り、干し柿にしたし、渋を抜いて甘いおやつにもなった。
その女性が亡くなると、彼女の柿の木の枝は火葬の燃料に加えられた。渋柿の植えられる地方の名が列記されている。

はっとする。干し柿か、さわし柿、熟柿として食べることしか考えなかった。
来年は柿渋を作ろう。瓶もいくつもある。作り方など、今どき、ネットで知ることが出来る。柿渋があれば、布を染める事が出来るし、木に塗ることも出来る。
今年は、干し柿を作りはしたが、取り残して落ちてしまったのもあって気がとがめていた。
柿の葉茶と、柿渋作りを来年の私の仕事の一つとして掲げて置く。



by buribushi | 2014-12-05 08:36 | | Comments(2)

「ドングリの謎」を読む

a0203003_19331277.jpg

ドングリはミケさんから頂いたマテバシイの実、ずいぶん大きい。一つ量ったら7.5グラムあった(弥彦で拾ったシイノミ-たぶんスダジイ-は1.5グラムくらい)。
さてこれをどうやって頂こうか。ドングリをクッキーにしたミケさん、チョコレートコーティングしたミミの父さま、縄文人なかまはいろいろやっておられる。

ミケさんが参考にしたという本は、ゲッチョ先生こと盛口満著「ドングリの謎」で、私も文庫本を手に入れた。
ドングリ豆腐なるものを作って食べる地方があるそうだ。「ドングリの謎」を読んだら、ドングリから澱粉を採り、それを煮ながら練って、固めた、胡麻豆腐やくず餅のような作り方だとわかった。
韓国にもドングリ豆腐があって、いまはそのもとになるドングリ澱粉が食材店で手に入る話も出ている。


a0203003_19332736.jpg

ゲッチョ先生、いまは沖縄に住んでいて「珊瑚舎スコーレ」の先生だという。
沖縄旅行中に、縁あって珊瑚舎スコーレで安里英子先生の授業を聴講したことがある。それで、私の中では「どんぐり」「沖縄」「珊瑚舎スコーレ」という輪っかが出来た、と、いうはなし。



by buribushi | 2014-11-06 19:55 | | Comments(6)

弥彦公園、師の歌碑のことなど。

a0203003_16411813.jpg

秋晴れの弥彦公園で、何をしてる?


a0203003_16414281.jpg

何をしてる?


a0203003_1642764.jpg

椎の実を拾っている。
ここの公園には椎の木が多く、いまごろはその実が降る時期なのだ。
ざわざわと風が吹くたび、新しく実が落ちてくる。こつんと頭にあたったりする。


a0203003_16434645.jpg

弥彦と言えば師の歌碑。
師の没後十数年で、わたしは43年属していた短歌会を去った。それからでももう十年以上経つ。
(5行削除)

当時を知る人も多く故人になり、師の没後入会した人が多くなり、歌碑建立前後のことなど、もう知る人もほとんどいないだろう。わたしは忘れない。

瑠璃色の珠実をつけし木の枝の小現実を歌にせむかな

と、いうのが師の歌。
(2行削除)(2行追加)

会を去った気持ちなど、語り尽くせない。飲んでも飲んでも渇きは止まらず、飲み尽くせない水を飲んで、八郎は大蛇になり、八郎潟の主になったのだったね。



by buribushi | 2014-10-17 17:13 | | Comments(8)

日々の気楽なおしゃべりです
by すばる
プロフィールを見る
画像一覧

最新のコメント

ihciat! >干し..
by buribushi at 19:19
daikatotiさま ..
by buribushi at 19:06
ミケさま 子どもより大..
by buribushi at 19:01
脱皮する蛇に一票! こ..
by daikatoti at 13:15
分る分る! こういうのっ..
by mikeblog at 10:24
あぁ、いい景色です(^^..
by ihciat at 06:57
demi_zoさま み..
by buribushi at 22:17
ミミの父さま これ、ミ..
by buribushi at 22:14
ohisamaさま カ..
by buribushi at 22:11
kazuyoo60さま ..
by buribushi at 22:07
ウチにも木のおもちゃが何..
by demi_zo at 21:15
電動糸鋸が欲しかった時が..
by ミミの父 at 19:06
皆さんとっても楽しそうで..
by ohisama at 17:38
カタカタは覚えています。..
by kazuyoo60 at 14:37
ミケさま 折角実った柿..
by buribushi at 12:22
kazuyoo60さま ..
by buribushi at 12:19
ミミの父さま 今年は干..
by buribushi at 12:16
こういう景色はホッとしま..
by mikeblog at 09:23
鳥に漁網が見えて寄ってこ..
by kazuyoo60 at 07:04
鳥との知恵比べですね。 ..
by ミミの父 at 23:08

メモ帳

◆gardening
   ☆kazuyoo60さん
     のブログ
◆ネコと飼い主その職業と
  趣味

   ☆ゴンベイさんのブログ
◆元気そうじ屋
   ☆片付け・そうじ屋さん
     のブログ
◆掟破り*キモノ日記

   ☆華宵さんのブログ
◆なんでもかんでも手帳

   ☆ミミの父さんのブログ
◆東成瀬通信「んだすか。」

   ☆杉山彰・あおい夫妻
     のブログ
◆気まぐれフォトダイアリー

   ☆咲さんのブログ

ファン

検索

ブログパーツ