おしゃべりきものⅡ-または、おしゃべりねこ

カテゴリ:本( 94 )




中野翠「この世には二種類の人間がいる」二度目

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 去年の3月に一度、図書館で借りてこの本を読んでいる。
 人を二種類にぱっぱと仕分けて、言いたいように言っていて、しかも自分はどっちか、たちどころに分かるのがほとんどで、痛痒いならぬ「痛面白」かったんだけど。

 前回、どうしてこれに気がつかなかったんだろう、「それはうたう人とひねる人だ」。
 短歌は「うたう」。俳句は「ひねる」昔から使い分けていて、短歌にひねるは妙だし、俳句にうたうは似合わない。その似合わなさっていったい何なんだろう。

 好きなのは、「私の場合は、はっきりと俳句だ。理由は簡単で、短いから」「もしかすると理由はもう一つ、自分でも時どき理解に苦しむ、へんてこな羞恥心のせいもあるかもしれない」と、作者は書いている。
 あるとき友人が歌集を貸してくれた。その場でめくって見ると、型破りで口語的。くだけた調子だけれど、死や孤独がむき出しに迫ってくるような歌が多かった。
 数日後、「中野さんのこの間の一言、けっこうこたえた」と友人が言う。歌集を返すとき、「どの歌も、わたし最後に なあんちゃって とつけたくなるよ」と感想を言った、というのだ。

 そんな心ない、ふざけたことを口走ったのか、自己嫌悪におそわれるが、いっぽうでわれながら正直な感想だったなと思う。
 「たいていの短歌はわたしを照れくさくする。好きな歌でも、「-なあんちゃって」と照れかくしフレーズを付け加えないと自分の心の中でおさまりがわるいのだ」
  ここで、大ヒットしたある歌手の歌のことを持ち出している。「なぜあの曲を、あの歌詞を、あんなにも思い入れたっぷりに歌いあげるのか、まるでわからない。世の中には二種類の人間がいる。あの歌いっぷりに酔える人と酔えない人だ。」
 「固定観念だけで言うのだが、短歌好きは歌舞伎好きやオペラ好きにリンクしやすく、俳句好きは落語好きやジャズ好きにリンクしやすい。」

 ここまでくるとさすがに、中野翠の観念の中の「短歌」が分かって来るのだが、さらにダメ押しがあった。
 彼女自筆のイラストで、和服姿の女性が思い入れたっぷりの顔でペンを持っていて、傍に「うたう人って、キモノなら一竹辻が花、花なら胡蝶蘭なんか好きじゃない?」「そうでもないか」と書いてある。

 ここに至って、わーっと叫びたくなる。
 こんな事を言う中野翠も腹立たしいが、そう言われても仕方のない歌もまた世の中に多くて(きっとその方が多いことだろう)それが一番いやなことなのだ。

 私自身のことを言えば、歌舞伎より落語。音楽には弱いがオペラよりは断然、沖縄の「音」。キモノなら紬で、それも洗いを経過してしんなりしたのが好きだ。花は単純素朴、に、好きなのが多い。宝くじ当てたって辻が花なんか着るもんか。

 「紬」の歌は添削で活かせるが、「辻が花」の歌は作者が自分に酔っていたり、演出していたりして、手をつけられない。そういうのを見て、「短歌は」と括って貰いたくない。そういう短歌が、短歌に間違ったイメージを与える。ぺしっ(ねこパンチ)。

 「なんちゃって」のつけようがない、本物の短歌を中野翠に読ませたい。ふう。

追記。近頃、俳句はいさぎよい。短歌は饒舌さがある。俳句をやっておれば良かった、と思う事がある。六十六、七年の手遅れだけど。




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by buribushi | 2017-06-22 16:36 | | Comments(9)

ジローブーチン日記、70年後の読了

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 2012年の11月、このブログに、北畠八穂の「ジローブーチン日記」をもう一度読みたいと書いた。
 昨日、未知の方からの書き込みで、ウェブ上で読めるという。なぜかURLが送れないので検索で、とあった。
 国立国会図書館の蔵書が読めるのだった。次へ、次へとページをめくるように読み進み、読み終わる。
それで解ったのは、私はこの話を読み終えていなかった。
 前半、ジローが仲間達と「サマルカンドノマルキゴヤ」「ムギメシナヅケトロロジル」など、12文字で自分の通称?を作るところや、その名前。エープリルフールのブーチンのいたずらをじいちゃんが気づかず、ブーチンが川水を汲みこんで沸かしたお風呂を喜ぶところなどハッキリと覚えているのに、後半ウミスズメという謎の人物が出て来て重大な役目を果たすのに、そこからはまったく記憶にない。
 
 多分、学級文庫に私費で買って下さったM先生のご転勤で、「銀河」を途中までしか読まなかったのだ。
 10歳の時から70年経て、通して読むことが出来て大変有難かった。
 戦争末期に辛うじて日本へ送り返されたジローとブーチン、それは結局そのまま両親と兄との別れになってしまうという辛いはなしなんだけど、後半、海へ出て行ったウミスズメの置き土産のピアノが届くなどメルヘンっぽくなった。子どもに読ませるのだからなあ。10歳の時終わりまで読めたらどう思ったことだろう。

 ここへ写したかったURLはなぜか、やっぱり移せなかった。
「国立国会図書館デジタルコレクション」へ行き、「ジローブーチン日記」を検索すれば読めます。








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by buribushi | 2017-06-15 13:07 | | Comments(8)

茄子のおこうこ-「粘土のお面」に出てくる食べ物

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 ものが食べられない時、食べ物のことを読むのが慰めになることがある。
 何回も本の整理をしたのに捨てかねている、豊田正子「粘土のお面」は、書き込みによれば1958年、私が16歳の時買った文庫本(定価60円)。

 ブリキ職人の父ちゃんに仕事がなくて、正子は夏休みに「口減らし」のため母親の郷里、草加の伯父の家で過ごした。学校の日記帳を包んだ風呂敷を右手首に結び、左手には新聞紙にくるんだ十二、三銭を握って、東武電車に揺られ、昼近くに草加に着く。
 迎えに来てくれた従姉の「おすちゃん」に、「早く家へ行って飯食うべや、腹へったんべ」と言われて田の中の道を歩き、冷たい井戸水で顔を洗わせてもらってから、大きな味噌むすびを三つ貰う。

 その晩、畑から帰った伯父さん達、もう一人の従姉妹のおくまちゃん、と食べた夕飯は、「盥のような」おひつに入ったご飯と、茄子のおかうこ(お香々、漬け物)、鮒の焼いたの。鮒は庭先を流れる小川でご飯粒を餌に自分で獲るのだ。

 お盆が過ぎた頃(半月経過、)おくまちゃんが庭の梨の木に登って実をもぐ。ふところにいれ、入りきらないのは咥えて下りて来たおくまちゃんと分けて囓る梨。
「皮を襟にこすっては食べ始めた。小さくて青みがかっていたけれど、しゃきしゃきして水っぽかった」
 その梨の美味しそうなこと。

 米が無いので、十銭で十本買って来て蒸かしたほくほくしたいも。
 ザクザク切った菜っ葉と醤油だけのお汁にもちを入れた雑煮。
 父ちゃんと分けて来た弁当のおかずのイワシの味醂干しと茄子のつけもの。それをまた、醤油を掛けただけの弁当を食べる工員なかまのドンちゃんに半分分ける。茄子なんか食い切ってわけたのを、「すっぱくてうめぇな」とドンちゃんが喜ぶ。
 まずしい食べ物ばかりだとおもうのに、みんないきいきと美味しそうで、食欲不振者の目のご馳走になる。




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by buribushi | 2017-05-31 15:51 | | Comments(8)

森茉莉の部屋-「幸福はただ私の部屋の中だけに」

モリマリさんに花を一本捧げたいが、お好みのアネモネも、薔薇も咲いていない。貝母ただ一本。
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 森茉莉のエッセイのファンである。「ドッキリチャンネル」は全集に入っていて、その大きさ、重さで3冊というのでおそれをなして図書館で借りた。持っているのは文庫本「ベスト・オブ ドッキリチャンネル」ばかりだ。
 あと、全部文庫本で、「父の帽子」「記憶の絵」「私の美の世界」「マリアのうぬぼれ鏡」「マリアの空想旅行」「貧乏サバラン」「贅沢貧乏」など。
 きょうだいの本では森於菟「父親としての森鴎外」、森類「鴎外の子供たち」、小堀杏奴「晩年の父」。
 森茉莉の新しく出る本、と言っても、今になっては、読んだことのあるものに「新発見」「未収録」などとうたったものがまじえてあるだけのことが多い。その中にも、雑誌などですでに読んだものもある。

 今回のちくま文庫版は、まったく初めて読むものもまじっていてうれしかった。
部屋の様子を詳細に述べた2編は、どちらも文庫本にして3ページも4ページもついやしてこまごまと書いている。
 部屋一杯になるようなベッド(ベッドも大きいが部屋も小さい)の上にあるもの。電話機。切り抜きなどの入ったボール箱。オーデコロン。だめになったボールペン(いま書いている小説の苦しみの記念として。書き上げた時に眺めてよろこびたい)。原稿用紙、もう清書した原稿、。いろいろな色のペン、鋏、フランス製の櫛などの入った箱。小さなシャボン、ピン、針、糸、口紅の入った硝子の皿。シチュウの空き缶(食事のとき、おかずや味噌汁を載せる)。薬瓶、酢、テーブル用醤油、ソオス、洋杯(コップ)・・・ラジオ、鍋。ベッドの下は、モスグリインの絨毯の掃除が大変なので新聞紙が厚めにしいてある。

 などなど、まだ続くのだ。人一倍不器用だったらしい茉莉がベッドに味噌汁をこぼさなかったかしらと心配したり、しかし、これらの品々があって、どうやって寝たのだろう。

(新聞紙云々で、ははあ、と合点したこと。茉莉の部屋の片付けをした人(女性)がのちに書いたものに、新聞紙が土のようになっていて椅子の脚が埋まり、椅子がなかなか動かせなかった、というはなし、ベッドの下の奥から新聞紙に生えたきのこを刈ったというはなし、あれは事実だったねと。)

 料理は上手で、健啖家でもあったらしい。ごてごていじらずさっと仕上げて美味しいものを作ったようだが、その材料を刻むのもベッドの上だった。魚は骨をとったりしないで済むように刺身を上等の酒と醤油でさっと煮たとか。
 下着は銭湯へ行くたび新しいのを着て脱いだものは捨てたとか(執筆が忙しくなってから)。

 硝子のものが好きで空き瓶を飾って置くのだが、その色を「毒薬の壜のような暗緑色の」「色のない透明な硝子あまり違わないごく薄い緑」「濃い藍色の壜(古代の曲玉の色か、硝子の製法が・・・・から伝わったころの原始的な、ビイドロとかギヤマンと言われていたような色)」とか。
 室生犀星が作者に掌を出させ、「これが水仙、これが梅」と落としてくれた干菓子の入った薬瓶。干菓子はすでに風化している。巨大(径一尺くらい)な深紅の薔薇の造花が緑の壜に挿してある。

「ぜいたくは自分の気分で出せる」という茉莉は、大好きな自分の部屋で一人生を終えた。



by buribushi | 2017-04-26 18:31 | | Comments(2)

森茉莉「幸福はただ私の部屋の中だけに」

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部分入れ歯は初めての入れ歯で、うっとうしがっているうちにそれに引っかけて嵌めていた自前の歯が取れてしまった。
夫が病んでいるときで、長く歯科へいかないままになり、その間に歯茎も変形したらしい。今年になって行き始めたが、入れ歯を部分治しして嵌めたのが大変具合わるい。舌の側面があたるところが痛い、物を噛むどころか嵌めているだけで痛い。一日がまんして、さっきお茶漬けを流し込んでやれやれと歯を外したが、傷んだ舌はまだ痛い。はー。どうしたものかねー。
インプラントとかいう、入れ歯ならぬ人工歯を奨められているが、それは厭なのだ。どうすべき、どうすべき。

持って行って待ち時間に読んでいた、森茉莉のエッセイ集「幸福はただ私の部屋の中だけに」(ちくま文庫・早川茉莉編)。今までに読んだ作品と、初めて読む作品が混じっている。初めて読んだ「シャーロック・ホウムズ」という文の一部。
(・・・若い昔と全くおなじように、まだ何十年も生きて居るという感じで毎日生きているが、あと上手くいけば五年か七年、まあたいていはたかだか二年、もしかすると一年かも知れない)と。
いま自分の生きている感じとおんなじ。
このとき茉莉は幾つだったのだ?1976年に書かれたということは、73歳の時だ。亡くなったのが84歳、この文のあと11年。

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本は他に「紅茶と薔薇の日々」「贅沢貧乏のおしゃれ帖」いずれも読んだことのある作品、ない作品が混じっている。



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by buribushi | 2017-04-20 21:13 | | Comments(14)

紫木蓮

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 俳句は575の17音、短歌は57577の31音、いずれにせよ定まった形とリズムを持つ定型詩。
決まった形にするためには饒舌は許されず、そぎ落としてそぎ落として残った芯が作品、ということでは俳句の方がよりストイックだろう。
 俳句には季語を一つつかうという約束がある。季語はただの単語ではなくて、それを見る人に桜なら桜の持つ無限のイメージを運ぶ可能性があるわけ。だから、日本語でなくては叶わない世界だと思う。
 外国語で俳句を詠むとか、俳句を外国語に訳すということは、ほんとはあり得ないことで、haikuではない、なにか別の言葉があっていい。
 と、いうようなことをしゃべって、自作の俳句の英訳集を作った人の大顰蹙を買い、縁が切れてしまった。しかたがない。だってほんとだもん。
 言葉の意味だけ正確に訳しても、決して17音の世界の大きさは伝わらないだろう。

 戒名は真砂女でよろし紫木蓮 鈴木真砂女 
という有名な句がある。不幸な結婚生活をしていたとき、はげしい恋に落ちて、文字通りすべてを捨てて別の人生に入ってしまった人が、死んでも戒名は要らない、と。
 戒名にその人の業績とか生き方とかを表す文字を入れるというのはしばしば見かけるが、彼女は良くも悪しくも、人に自分の生をまとめたりなど、されたくなかったのだろう。高々と天に向かって咲いて、深い色の花を季語に選んである。
 これらのことを、外国語でなくてニホンゴの口語であっても、書き表そうとしたらどれだけ多くの言葉が要ることだろう。
 





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by buribushi | 2017-04-15 13:07 | | Comments(8)

「野草の手紙」ファン・デグォン、酒粕パン、

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 ファン・デグォン(黄大権)は、1985年にアメリカ留学から一時帰国した直後、無実の政治犯としてとらわれ、金大中政権が出来て98年に特赦で釈放されるまで、13年あまりを独房で過ごした。
 日記まで禁じられた彼が、唯一許された週一度の妹宛の手紙と、そこに添えられた野草のスケッチ。
 5年間無実を訴えつづけても実らず心身疲れ切っていたとき、ふと雑草に目がとまり、資料を取り寄せて野草の研究に没頭、しまいには刑務所内に野草園を作り上げて、心身回復していった。この本は02年に出版されてベストセラーになった。
 薬草をブレンドしてお茶をたて、野草の漬け物「水キムチ」は仲間もよろこんだし、茹でて味噌和えにした野草も美味しかった(そういうことは出来る牢屋だったんだね)。
折角作った野草畑を清掃員にむしられたり、なかまが下水から「採取」した人糞を薬草にまで肥料として撒いて仕舞ったり、苦労のさまがかなしくもおかしい。



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 スベリヒユの話のページ。スベリヒユは湯通しして干して置くと保存出来て、冬も食べられる。あらゆるむくみやできもの、その他薬効の多い草だという。
 彼が参考にしたのはチャン・ジュングン著「体に良い山野草」で、この本は学問的知識の羅列ではなく「山野草オタク」のチャン博士の経験と知識の記録で、実用的、とある。
 13年は長かったが、そこで自然と向き合い(草のみでなく虫やネズミまで)多くを学び喜びを見つけた。これは草の本で、生き方の本。




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 今日のオマケ写真。
 ド〇ロクを絞った後のゆるい酒粕を小麦粉と練り混ぜてしばらく置き、蒸したパン。塩を入れたオリーブ油と、黒糖を煮て作った黒みつを添えた。




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by buribushi | 2017-04-12 21:48 | | Comments(4)

ひでこさんの本とその読み方

a0203003_17402938.jpg つばた英子、しゅういちさんの本は、「あしたもこはるびより」「ひでこさんのたからもの」「時をためるくらし」「ふたりからひとり」と、読んで来た。
これはハブ茶と麦茶のページだが、麦茶は実行済み、ことしはハブ茶も作ろうとエビスグサの種を買った。
a0203003_1741095.jpg 自分のところで取れた梅で梅干しを漬けたい、と長く思っていた。いまの場所に移って来てからは、豊作、不作はあるけど、ほぼ、実現できている。
満80歳になる今年、小梅を植えたのは、ひでこさんの精神を真似たのだ。
a0203003_17412851.jpg しゅういちさんは、自分の雑木林の木の枝で農具の修理をする。
小柄なひでこさんが使い易い、細くて軽い鎌の柄など。
仕事のさまがいかにも楽しげ。右下の写真の背景に、ウォールボケットが吊ってあるが、1から31までの数字入りで、細々したものが分けて入れてある。ミシンも得意だそうだから、彼の手作りだろう。

 私はこれらの本を寝ながら読んで、眠くなってぽとっと本を落として寝入るのが好きだ。

 カスタマーレビューというものを読んだ。わたしと同じく嬉しがって読んでいる人が多い中で、否定的な文もある。「この二人の本を読むにつれもやもやを感ずる」。この本が褒められていることに対して「世の中、お人好しが多いですね」ほか、もっとひどい言葉で二人を否定している。
 心豊かなシンプルライフはお金が無ければ出来ない。という人。自分の母は子どもの時農作業を手伝わされて辛かったのでもうしたくないと言う。あの人達はこどものとき苦労しなかったから出来る、とか。(私は弁当持ちで朝から夕方まで一人で草取り、とか、雪が早く降って大根の取り入れを母としたときは高熱を発したとか、あったけど、いまは畑が楽しい。自分の思うようにやれるもの。)
 ひでこさんが家計簿も付けないで、とか、冷凍庫を幾つも持つのはゼイタク、とか。まあ何でも言いなはれ。野を歩いて花を見ず、虫やいら草ばかり見つけて文句いうのも本人の勝手です。

 年収の2倍ものヨットを買ってしまったしゅういちさんに「男の人はおもちゃが要る」という。実家から持って来たお金も、着物も宝石も使ってしまった。質屋の帰り、お金になったことが嬉しくてしゅういちさんの好きなステーキ肉を買う。このいい加減さ、良く言えばおおらかさがなかったら、あのうちは成り立たないだろう。きちんと家計簿を付けるような人ならこの暮らしには耐えられない。

 この4冊は聞き書きで、最近復刊の新書版の1冊とは随分感じが違う。4冊のとてつもない大らかさとは少し違い、「男のわがまま」などという言葉も見える。
 あ、優秀な編集者が入るとはこういう事なんだな。上等な材料の英子さんを、さらに美味しく料理してある。英子さんも歳月で変わられたところもあるだろうが。

 うちはもうすぐ80歳の二人暮らし、夫の年金と、退職金をはたいて買った150坪ばかりの畑があって、それだけでゆったりした気持ちで暮らしている。
 私は20年位前から、少々自分の収入がある。無名者の原稿料だから、内職程度のものだが、読みたい本や自分の身につけるものを買うくらいのことは出来る。これがどれだけ気持ちの安定に効くか、はかりしれない。英子さんの処も出版はあるし、畑のものやその加工品は毎月何十個も小荷物にして送り出している。年金だけでは心豊かに暮らせない、ということは、ないと思う。
わたしも一生かかってここにたどり着いたので、人にとやこう言われる事はなんにも無い。

 畑の縁に植えた、798円で買ったすももは今年も蕾をびっしりつけ、年々増やしていま4本。雑木林が好き、と、家の周りに植えたエゴノキは落ち実から一人生えして殖え、雑木林を名乗るほどでは無いから薮と称している。下草も一々好きなものばかり。
 欲しかった小梅の木を、今年はえいっと買って植えてしまったのは英子さん効果だ。

 造り酒屋に生まれた英子さんと違い、「買うなら最高のもの」という暮らしは出来なかった。五十何年使った簞笥はがたがただけど、大丈夫、80オバーの終わりまでは保つ。安物、なんの問題もなし。人は人。
 残り時間は少ないので、どう片づけて行くかがいまの最大の関心事。

(長広舌、ご無礼いたしました)



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by buribushi | 2017-04-09 18:39 | | Comments(8)

辞典おもしろ、校正楽し、添削稼業やめられぬ。

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 木曜日の夜は民放のテレビ番組「プレバト」で俳句の添削を見るのが楽しみ。今日は休みでつまらない。

 短歌の添削をすると、「そうなんです、私の言いたかった事がはっきりしたけど、どうして分かりましたか」と言われる時は成功。「そんなこと言ったんじゃありません」「自分好みに直さないでください」と言われたこともあって、読み返せば作品はどう見ても「そんなことを言って」いる。
 添削は、作者が表現したいことにより近づくためにする手直しだと思っている。だから上記のような二通りの受け取りかたが出るのは、添削者のせいではなくて作品のせいです。あーこれ言ってみたかった。
 俳句は季語という大きな働きをするものがあることと、17文字という簡潔さのために、添削事情は短歌とはかなり違う事だろう。俳句を読んでいると、短歌を饒舌に感じ、俳句をやりたかったな、と、ちらと思うことがある。六十何年の手遅れ。違うブンガクだから、一人で両方は出来ない。

 ごろごろ曳いて歩くのは「キャリーバック」か「キャリーバッグ」か。辞書によれば、「キャリーバック」は、ラグビーで自陣のインゴールに持ち込んだボールを地面に着けること。
 キャリーバッグは車輪付きの小型スーツケースを言うが、これは和製英語だそうだ。英語圏では車輪付のスーツケースはただ「スーツケース」、キャリーバッグは持ち歩く鞄や買い物袋のことを言う、と。

 「けなりい」は古語由来の当地方言で、「羨ましい」の意。
 これも、「けなり」ではないか、と言われたことの返事は、「けなり」は「異(け)なり」で、普通とは違っている、際だっている、優れている(のでうらやましい)。「けなりい」は「異なり」を形容詞化した言葉で、意味は「うらやましい」。

 以上のようなことを校正者に返信した。
 前に「柿山伏」の語を含む短歌を解説して、「何でも知ってるんだねぇ」と言われたが、なんの、柿山伏のくだりは辞書の丸写しです。辞書と、この頃はインターネットもあるから、ダイジョウブです。








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by buribushi | 2017-03-30 21:52 | | Comments(10)

またしても片づけ本「それ、いらない」

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 いま、娘に貸してあるので、電話で題名を聞いた。「それ、いらない」だった。
 懲りもせず、と言うか、片づけ本は何冊読んだことだろう。一部実行したり、だめだこりゃ、になったり。今度のは、立ち読みしてみたら、片づいた生活をするために親子4人で沖縄へ引っ越したとあるので買った。千円なり。
 一度読んで娘に貸したので詳しく紹介は出来ないが、キーワードは「使い切り」か。服でも靴でも、そのほか何でも、使い切ったら捨てて、初めて次を買う。使い切るとは文字通り破れたり壊れたりすることから、もうこの後使わないと考えるようになったことまで含む。

 本が返って来てからもう一度、も二度もじっくり読むけど、「使い切り」ね。実際、このセーターは高かったから、この靴は高かったからとよそ行きにしか使わないで、そのうち似合わなくなったり身体に合わなくなったりしたらどうか。気に入ったものはためらわず使って、使い切ればいい。
 (そう言いながら、今日も外から帰ると「いい方」のセーターとズボンを脱いでくたびれたのに着替えたけどね)
 もう幾冬も着ないのに捨てないセーターは、高かったから。ものはいいけど、型がもう、着る気のしないもので、これも使い切った、と言えば思い切れる。

 さっき、ねこがもぐりこんで毛だらけになったシーツとカバーを取り替えたとき、押し入れの布団類を見た。綿を打ち直して布団縫いをしたことでは最後の、掛け布団二枚、また重たくなってしまったが、もう一度打ち直して作り直してまで使うか?ノーだ。こういうのを、使い切った、と言っていいんじゃないか。
 長女の木綿屋時代の残り布、インド更紗を接ぎ合わせて作った布団、解いて、更紗は布に戻す。綿は堆肥に回せば土を肥やす。本を読み返す前に、もの減らしが始まった。優秀な本だわ。
 
 孫達が小さくて、「ばーちゃんちにお泊まりする」と言っていた頃は、十畳に布団を敷き詰めてごろごろ寝かせていた。法事だの何だの、泊まり客もあった。その中には使い切ったと言っていいものがまだある。
 
 衣類や靴については大よそ行きはない。おかずの買い物に出る靴も、沖縄へ行く時の靴も同じだし、シャツやジーパンもほぼ同じ。最近、長いスカートがはきたいような気がしきりにするけど、買わなくても布団の更紗とか、材料はある。

 後は本と雑誌。読み返さなくていい、また読み返すつもりで置いたまま1年もそれ以上も過ぎたもの。飽きた作家。むかし丁寧に本を買っていた頃は無かったことだ。反省。
 
 
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by buribushi | 2017-03-25 13:26 | | Comments(4)

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